新しく何か勉強するとき

遅かれ早かれそれはやってきていた

若干の変化球が混じっていたけど

 

訓練言語が英語からシンハラ語へと変化した

訓練所では英語のテクニカルクラスとか英語使いながら教授法的なことに力注ぐ

ってイメージだったし、なんなら余力があるうちにタミル語やっておこうと思って

いたけど、そうはいかなくなった。

初めは衝撃だったけど、まあやると決まったんだしどうやっていくかを考える。

だからそれをまとめてみよう

個人的な考えだけど、何か勉強するときに参考にする人はしてください

 

目標設定と将来図

まず、勉強によって何がもたらされるのかを決める。

昇進とか志望校合格とか

より具体的でメリットのあるものが良い

自分の場合は

・現地でのコミュニケーションの簡易化と馴染みやすさ

 

 

次に目標を立てる。

これは数字で表されるものがいい。

検定試験だったりテストの点数とか。

シンハラ語は数値化難しいから

・単語 3000語

・例文 300語

とかにしときます。(暫定的に)

 

 

テキスト選定/計画

単語帳と教本系を1冊ずつとまず決めておく。

これをひたすら周回。

多分やりながら別の参考書も気になるだろう。だけどそこは、「この本を信じた

自分を信じろ」と自己暗示かけて最低3回くらいは周回するべき。

1回目、よくわからんけどとりあえず流す

2回目、分かる問題は答えや解法がしっかり間違っていないか。わからない問題

はどこでつまずいているのか把握

3回目、2回目より分かる問題を増やす

 

みたいな感じ。

 

単語は、徐々に確認しなくても良い単語が出でくるからやってて楽しくなると

きがある。

 

計画は、デットラインがどこなのかを把握し、それによって上記の周回するペ

ースを決める。

ページ数でもいいし、時間でも良い。

*ここで注意するべきは計画は往往にしてうまくいかないということ。

友達と遊ぶの予定が入ったり、締め切りが早まったりすることも加味して計画

すること。1日数十ページやります!!みたいな無理な量を設定しないことが大事。

 

僕の場合(現在)は

・自作の単語帳

・Eラーニング

youtube 1本/日

(出てくる構文と単語は復唱/暗記)

 

Eラーニングの内容見てテキスト購入考える。(だからID連絡のメールはよ)

 

 

 

まとめ

1.将来像を描く(具体的に)

2.達成目標の数値化

3.テキスト選定

4.計画の数値化

 

何か勉強を始めるときは上記のことを意識する。

 

 

 

 

 

 

 

 

素直さ

昨日は金曜日分を投稿したので、今日は土曜日の分が後ろ倒し。

自分が参加している学習ボランティアの話。

 

 

修了式

この学習教室の理念を簡単に言えば、経済的に困難な家庭がある中でその児童

を対象にした学力支援をしようってこと。

システムは月2回、2時間、ボランティア一人が児童1〜2人について指導する。

昨日は所属している学習教室の修了/卒業式。

1年目の児童は一旦一年間お疲れ様の意味を込めて修了式。

学習会のルールとして2年続けた児童は卒業しなきゃいけないから、その子たちは

卒業になってしまう。

この辺りのルールは毎回議論になるんだけど、個人的には学習会の方針を推奨して

いる。

そうじゃないとボランティアにかかる負担が大きすぎるし、まだ参加したことのな

い児童の学習の機会が薄れてしまうし。

まあこの辺の話は一旦やめて、二年間の思い出を少し書きたい。

 

 

1年目

社会人に1年目の夏頃から始めたボランティア。

初回は良く覚えている。緊張と楽しみを持って望んだら、急遽受け持つ児童がお休みということで手持ち無沙汰に笑。

結局、自分の受験記を書いて終わったな。

高校受験なんていつの話だって感じだし、そもそも真面目に勉強してなかったから書くのに非常に困った。

初回がフリーだったから、それ以降もあまり担当って児童はいなくて新規の子や、他の先生がお休みの子に入る感じが多かった。

 

で、ここで自分としては結構葛藤があった。

 

学習指導って思って参加していたから、少なからず学力をあげるために気持ちで

臨むつもりだった。

だから担当が持てなくて十分な指導が出来ないことを、悔しいと思いながら半年

間くらい悶々としていた。

 

 

2年目

2年目も相変わらず新規の子やヘルプみたいな感じだったけど、ほとんどは顔なじ

みだから学習スタイルも把握していて、良い指導ができる。

 

って思うかも知れないけど、実際そうはしなかった。

きっかけは一人の児童の発言。

「先生は妖怪ウォッチの話できるからいいよね。」

 

 

よく考えて見たら、小・中学生が毎月2回、2時間場所を移動して机に向かうこと

が珍しいこと。

そしてその子達をよく観察すると、勉強する意欲が全くないわけではない。

集中力が続きにくい児童でも最初の方は勉強に取り組んでいたりする。

でも、子供達が来てくれる本当の理由は”勉強”ではない別のところにあるのではな

いかと感じた。

その理由は、お兄さん・お姉さん、おじさん・おばさん、おじいちゃん・おばあちゃん、様々な年代の人があるまるこの環境が楽しくて来ているんじゃないのか。

この発言や1年間かけてみんなと接する上でとそう感じた。

つまり、子供達のニーズが“学力向上”ではなく“自分が楽しく入れる居場所”だった。

 

だから悶々としていた僕の気持ちの解決は簡単で“学力を伸ばしたい”って僕の気持ちを、“居場所づくり”に変えれば良いだけだった。

 

だから僕のスタイルは、基本的に「学習―雑談―学習―雑談」。

 

集中力が続きにく児童には「学習―雑談―雑談」。みたいなことをやっていた。

 

 

少なくとも学習会なのだから、どこかで学習の機会はとる。

だけどメインは“楽しむ”こと。そして“少しでも長く机に向かうようにする“ことにした。

 

修了/卒業式

この式ではボランティアが寄せ書きした色紙と、学習教室からの贈り物が渡される。

そして児童一人ひとりが一年間の思いを述べる。

30人弱の前でみんなそれぞれ思い思いの発表をしてるから、みんなすごいよ。

自分が小学生の時は無理だな。

 

ついでにボランティアからの言葉も述べなきゃいけなかったので、みんなへの激励と感謝、自分もここを卒業することを伝えた。

 

児童が帰った後ある振り返りの時間の中で、教室に対しての保護者・生徒のアンケートの中にいくつか気になることがあった。

内容は控えるけど、やっぱり親と児童、大人と子供の目線は違うのだな。ってこと。

やっぱり大人は良い学習環境を。って感じが強い。ボランティアも含めて。

子供は思ったことを素直にいうし、書く。

だけど、大人はそれを受け止められないことが往々にしてある。気づいたところで

変えられないかもしれない。固定概念に囚われている。

だけど一方で、その固定概念は正しい。

やはり大人は人生の先輩であるから、将来的には良いことのことが多い。

 

では、この学習会の主役は誰なのか。

周りが良いと思っていることが主役にとって必ずしも良いとは限らない。

それはやってもらうことで将来的には良いことかも知れないけれど、そうじゃないことで手に入れられる良さも必ずある。

主役の感じるようにするのもまた周りの務めではないのか。

 

 

そう感じた最後のボランティア

 

 

 

それではまた、あした地球があることを祈って

かっこいいってなんだ

昨日は帰りが12時を回っていたので昨日のことを今更投稿。

これはまだまとまってないし、取り留めもない文章だから読むに耐えないかも。

そこんところお許しください。

 

 

 

 


大学生ってかっこいい


昨日の朝はある環境隊員が大学の部活動最後の写真展を開いてるってことで鑑賞しに東京の方へ。

吉祥寺駅から5分ほど歩いたところにある、ギャラリーへ到着。

大きさは教室4分の1ほどで作品を見て回るのにはちょうど良い。

ギャラリーには4年生それぞれの展示品があった。全部で11種類くらい。
写真が1枚だけの人や、複数枚纏めて飾って1つの作品にしている人。
その作品の中には、プラントで使う水捌け用のドーナツ型の道具を使って覗きこむようにして見る作品。ファスナーを降ろさないと写真が見えないようになっている作品。写真の台紙に香りがつけてあって、香りとともに写真を見る作品。五感を使う作品があってとても面白い。
中にはアーティスティックな写真もあって、芸術に疎い僕にはよくわからないけどなんかオシャレ。


僕が個人的に好きなのは“大学4年間”を全面に押し出した作品。
展示の中には就活を題材にしていたり、自分の4年間の思い出を綺麗にレイアウトして並べている人や活動期間にとった写真をこれでもかと並べて作品として展示していた人。

これらはその時その人達にしかできない。今おかれている環境や持っているもの最大限使った芸術であり、「色々あったけど4年間楽しかったよな!」っていう感じが伝わってきて格好良い。

 

社会人ってかっこいい

 

夜は横浜の方で前職で一緒だった人と飲み会。

スペイン料理を食べながら、会社の話題へ。

会話の内容は2ヶ月経っていてもまだついていけるし、仕事内容も劇的があるわけではないから少し安心。

だけどあの会社の納期遅れてるの!?みたいな話もあったりしてやはり少しずつ変化がある。

そういう話を聞くとやはり自分は過去の人間だなと思う。

9時くらいに僕の後輩が今からくると連絡があった。元・後輩になるのか。

でも遅い時間になっても良いからといってきてくれる後輩はさすがである。良い後輩を持ったなと思った。

連絡がきてから30分くらい経って後輩が来た。

世間話もしつつ、やはり仕事の話になる。仕事が終わらないなど後輩からは愚痴がこぼれたりもしたけれど、昔僕がやっていた仕事が問題なく進んでいること、新規案件のことなど、大半はそういう話。

売り上げ上げるためにうまく仕事を回しているようだった。

現役でバリバリやっている人はやっぱり尊敬する。

 

 

 

かっこいいってなんだ

 

個人的な考えとして「すべての物事に対して自分も他人もできないことはない。ただやってないだけ。」ってのがある。こう思っていないと、できなかった理由を何かのせいにしてしまいそうだから。戒めのためにいつもそう思うようにしている。

じゃあ、かっこいいと思った人の真似をすれば自分もかっこ良くなるのか。

というとそうじゃない。

かっこよさっていうのは行動によって決まるんじゃなくて、思いによって決まるんじゃないだろうか。今回共通してかっこいいと思えた人たちには気持ちや情熱など思いがちゃんとあった。

でも、思いってのもまた難しい。思いは間違えれば独りよがりになるし、自己満足の場合もある。

だから結局はかっこいいも受け手次第なのか。

答えはわからない。

 

 

 

 

 

それではまた、あした地球があることを祈って